本日、9月21日は満月です。中秋の名月ですね。窓から月が見えています。バードウィッチングで使っている双眼鏡を持ってきました。雲に隠れたり、現れたり、刻々と表情を変えています。見応えがあります。
きれいな月をぼーっと見ていたら、今日が中秋の名月だったと気がつきました。当然、お月見など洒落たイベントは全く準備していません。
準備していませんが、しばし月を眺めてぼんやりすることにします。
今日、新暦9月21日。旧暦は8月15日、7・8・9月の秋の真ん中の8月の望月の日。秋の収穫を祝い、月に感謝する。
旧暦で生活していたのなら、当たり前に行事をしているはずですが、こんなことじゃいけませんね。季節ごとの行事は特に日本人にとっっては大切です。クリスマスやバレンタインデー、ハローウィンなどはほっといてください!
端午の節句や桃の節句、お盆やお彼岸など季節の行事はどうも蔑ろになってきます。特にこのコロナ禍では一層そうなるでしょう。人の移動や大掛かりな飾り付けが必要でない中秋の名月ぐらいスマートにこなしておきたいところ。と、言いながら、毎年忘れてその日の月を見て思い出す始末。
窓を開けっぱなしにして、お供えして、ススキを飾る。で、秋の実りに感謝してお酒を飲む。それだけなんですがね。
芋名月と言って、お団子ではなく里芋などをお供えすることもあるらしいですね。ススキは、邪気払いとのこと。ススキに加えて、秋の七草をお供えするものらしいですが、揃えるのは難しいでしょう。ススキはがんばってなんとかしたいものです。幸いここの田舎は、そこらへんに生えています。うちの周りにもありますので、手間はかからなさそうです。。、
近所の畑では、稲刈りが進んでいます。収穫を終え、十五夜の望月に感謝する。作物を作っていらっしゃる方々には、特に重要な日なのかもしれません。我々も収穫されたものをありがたくいただくためにも同じように感謝しなければならないでしょうね。
こういう行事の意味も考えてのお酒でもいいですが、ただただ月を相手に一献・・というのも素敵です。月下独酌・・
花間一壺酒 花間 一壺の酒 独酌無相親 独り酌みて相ひ親しむ無し 挙杯邀明月 杯を挙げて明月を邀へ 対影成三人 影に対して三人と成る 月既不解飲 月既に飲むを解せず 影徒随我身 影徒らに我が身に随ふ 暫伴月将影 暫らく月と影とを伴って 行樂須及春 行樂須らく春に及ぶべし 我歌月徘徊 我歌へば月徘徊し 我舞影零乱 我舞へば影零乱す 醒時同交歓 醒むる時同(とも)に交歓し 醉后各分散 醉ひて后は各おの分散す 永結無情遊 永く無情の遊を結び 相期獏雲漢 相ひ期せん 獏(はる)かなる雲漢に
家族も友もいず、何もかも捨てて、月と自分の影と3人で酒を飲む・・理想です。
世の中のしがらみは捨て切れないんです。どんなに楽になるかしれません。でも、捨てる勇気がありません。
そして、今は、何度かのうつ期を経験して薬を飲み続けていることから禁酒してたんでした。万一捨て切れても、そもそもお酒が飲めません・・。
昼間は汗ばむほどの陽気でしたが、この時間になると肌寒いです。虫の声が賑やかです。虫の声を聞きながら月を眺める。お酒を飲みながら風流を決めるにはいい晩なんですが。
今は、二十四節気の白露、肌寒い冷風が感じられ、朝晩には草木の露が目立つ。七十二候では第四十五候「玄鳥去(つばめさる)」春先に飛来した燕は、日本で子育てをして、今の時期南の地域へ帰っていきます。
本当にこの通りに季節が移ろっていきます。季節とともに生きてきた日本人先人の知恵。
春分・秋分を軸に24に分けた二十四節気。さらにそれを3つ分けた七十二候。カレンダーを見ながら、肌で季節を感じながらこれらを確認すると、その通りに変わっていくことに感動します。
月の動きがベースの太陰暦では、暦と本当の季節がずれてきてしまいます。それを補うために、太陽の動きをベースにした二十四節気なるものを編み出して季節の変化を暦にはめ込んだ。天才です。
そういうサイクルに体を委ねて暮らしたいものです。生きていくには、仕事をして金も手に入れないといけないのですが、それに忙殺されると、このサイクルを忘れてしまいます。自然のまま、水が流れるごとく、なすがままに生きていけたら、精神を病むことはないように思うのですが。
旧暦と暮らす・・・・うつ病や双極性障害には有効な暮らし方のように思います。
二十四節気「白露」は、23日になると「秋分」に変わります。第四十六侯では「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ」昼間の残暑も和らぎ、ますます秋が深まります。
酒は飲まないですが、もう少しお月さまに見惚れることにします。
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