仏像フェチになったきっかけの百済観音

仏像

見仏する

仏像フェチです。

信仰心というものがまるでないにもかかわらず、お参りすべき仏様をジロジロと眺め回しています。本当に大変失礼なことをしていることを自覚しています。申し訳ございません。

仏像をある特定のジャンルのアート思って見ています。仏像が入ったお寺ごと鑑賞させていただいています。

「美しい」「優美な」「荘厳な」「猛々しい」「かっこいい」「シブい」「ヤバい」などの形容詞で見ています。若い人がアイドルを見ているような感じに似ているかもしれません。

その立ち姿、表情、首の傾け方、視線、手の仕草、指先の表情、腕の姿勢、足の運び、装飾品、袈裟が風にそよぐ様、錫杖の音、頭の後ろの光背、座っている台座の設え、そのお堂の天井や壁の装飾、天蓋との位置関係、差し込む光のあたり方などを注意深く観察するわけです。

”見仏”と言います。たくさんの仏像に浸ることは、”仏浴”と言っています。履歴書の趣味の欄には、わかるかどうかわかりませんが「見仏」と書いてます。

見仏はじめ〜マイアイドル仏というのは畏れ多い”百済観音”

仏像は、仏(如来)、菩薩、明王、天など大きく区別できます。いわゆる”仏”様は、「如来」です。悟りを開いている方です。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来などいます。次に「菩薩」は悟りを開くために修行している方々です。観音菩薩や地蔵菩薩、千手観音菩薩などかいますね。その下に不動明王などの「明王」帝釈天や吉祥天などの「天」がいます。それぞれに姿や姿勢、身につけるものや持ち物などルールがあります。これを覚え始めると仏像にハマります。

そのような基本的な区別も知らない頃、出会いました。法隆寺の百済観音(国宝)です。「菩薩」のグループの観音菩薩です。訳あって「百済観音」とのあだ名が付いています。

現在は、法隆寺の大宝蔵院の百済観音堂にありますが、私が初めて見た時は、昔の大宝蔵院に数多ある仏像や仏具の中の一つとして展示してありました。

百済観音の左後ろから展示室に入るような順路だったのですが、その部屋に入った瞬間ぞぞーっと全身鳥肌が立ち、背中が震えたのを覚えています。このような経験は後にも先にもこの時だけ。

あれは何だったのか。ありがたい国宝のお宝に会えたというような神々しいものに触れた感じではなく、本当に見ても良かったんだろうかという恐怖感に近い”畏怖”の念なのでしょうか。

この時から、見かける仏像に対して、これは何という仏像で、どういう由来で・・と調べ始めるうちに仏像フェチになっていました。

影響を受けた百済観音ですが、今まで2回しかお会いしていません。機会を作って奈良に行ってお会いしたく思っているのですが、恐ろしさも感じます。

人間離れしたように著しく痩身なお姿。頭部が小さく八頭身以上かと思います。このような体格の人間はいないと思いますが、このお姿を見ていても不自然さは感じません。完璧なバランスです。お顔もいわゆる仏像らしい表情ではなく、もしかしたら実在した誰かをモデルにしたかのような表情。

腕は細く長く、右手はほぼ90度に曲げてこちらに手のひらを上にしてそっと差し出す。

そして、極め付けは、ほんの少し前に出した左の手の甲をこちらに向けた水瓶(すいびょう)を持つその手の表情!

鳥肌が立ったのは1stインプレッションのその痩身の立ち姿ですが、この水瓶用を持った左手の表現といったら・・ため息が出ます。

これ以上力を抜くと落としてしまう絶妙な力加減でこの水瓶を持つ細く長い指・・・さらに多少は水が入っているだろうなと重さを感じさせる腕と手首の曲げ具合・・

質素な宝珠型の光背を背負い、その支柱は簡素な竹(竹と思っていましたが、竹を模した木材らしい。なぜ竹を模す必要がある?わからん・・)

正面からの鑑者の視線のみを意識した本堂釈迦三尊像や救世観音像と違い、側面からも自然にみえる立体的な造形で作られている。長身で痩身の姿はどこから見ても他の仏像と一線を画している。

法隆寺は、1400年を超える古刹ですが、古くからの資料には、この像の由来の記載はないらしく、いつ誰が作った像なのか定かなことがわからないらしいです。お寺側は長く虚空蔵菩薩と思ってきたらしいですが、のちにこの仏像のものと思われる宝冠が出てきて、観音菩薩がつける宝冠であることがわかり観音菩薩であることが判明したとのこと。

百済観音との名称は大正時代らしい。明治の初めに岡倉天心あたりが「朝鮮風観音」といっていたのが元になったようで、あまり根拠がなさそう。クスノキ材でできていて、一部はヒノキ製。日本制作の仏像であることは明確らしいです。なぜ、百済観音と呼び続けるのか?なぞです・・

「百済観音」という呼称、疑問です。”百済”なんてつけたら、作った場所や由来、作者や作成年代などイメージしてしまいます。それが正しいかどうかは学者さんに任せるとして、どこのお寺にある何という仏様なのかだけでいいと思います。余計な先入観なくその姿をその姿のまま見ることができないのは少し寂しい気がします。

見仏はどこでする?

上野などの博物館で、各地の有名な仏像を見るチャンスがあります。東京に住んでいるときは、ちょくちょく見に行きました。通常お寺の御堂の中に安置されている状態では見えないところが見えます。背中側や頭の上からなど、想像もしなかったところから見れる場合があります。近くまで寄れるところもいいですね。暗くて見えなかったところも博物館では詳細に見ることができます。博物館も趣向を凝らして観せる工夫をしてくれるので、とても興味深く見ることができます。

本来の居場所、お堂の中で見るときと、博物館などで見るときとは印象が全く違います。博物館などで、細かく近くで見れるからいいのですが、やはりアウェイ感があるのでしょうか、収まりが悪く感じます。仏さまも落ち着かないように見えるというか。

いつものお堂にいらっしゃる時には、そのお堂の台座に座り、装飾された壁や天井に囲まれ、そのお堂のあるところの環境の中で拝見します。その仏像だけでなく全体の中で見ている訳です。

人混みにさらされ、光を当てられ、近代的なガラスのケースに入れられ、知ったかぶりのうんちくタレがあーだこーだいうのが聞こえる・・このような中で一人ぼっちでいるより、昔からの信者の方々にお祈り、お参りされ、手入れされて過ごす方が、きっといいに違いありません。我々のような、無粋な連中が見仏していても居心地良さそうに見えます。

本尊を安置するとのプロジェクトは、仏像の制作はもとより、その安置する場所の仕立て、壁や天井の装飾・塗装、お堂の設計、材料集め、加工、組み立てなどの工事、そこにお寺を作るという、土地の事情・地形、もちろん檀家の方々の努力、さらには政治的・文化的な背景などあらゆるものに関わる壮大なプロジェクトです。そのプロジェクトの中の仏像だけを取り出して展示しようとすることに無理があるように思えます。

なぜ、この仏像というアート作品は心を動かされるのか?

このプロジェクト、むちゃくちゃ金がかかる仕事でしょうが、金のためだけに仕事していたら、あんなに完成度が高く、1000年以上も持つようなものは出来ようはずがありません。高い志を持って仏教に帰依する覚悟があったんだろうと想像します。

仏師たちはその当時の最高の技量で作成したと思います。多くの人々がある時は命懸けでお参りする、お祈りする対象物ですので、高尚で清廉な気持ち、猛々しいほどの高いモチベーションを持って取り組んだはずです。その成果であるからこそ、さらにお参りした方々のパワーが染み込んでいるからこそ、時代がめぐっても理由もなく心を動かされると思います。

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