出社できない日の朝考えること
双極性障害Ⅱ型と診断されています。
うつ期に落ちると気分が激しく落ち込み体も思うように動かなくなります。仕事に穴を開けてはいけないと強く思うのですが、どうしようもなくなります。
でも、これって本当に出社できないほどでしょうか?根性が足りないのでは?他の人はこれぐらいのしんどさでは会社を休んだりしないのではないのか?
気合いで動けば出社できるかもしれません。いや、きっとできるはずだ!どうしようもない理由を障害のせいにしてはいないだろうか?
もしかしてサボっている?甘えている?
どうしようもない朝、そのようなことを考えます。
そして自分が情けなくて更に落ち込みます、
サボりとは何か
モチベーションの低さとサボる気持ち
サボるとは、その仕事へのモチベーションが落ちて怠けたいとの気持ちが出てきた時にしようと思うもの。
私の場合は仕事に穴を開けてはいけない。これをやり遂げねばならない。との気持ちは強くあります。サボりたいとは思っていません。
このような「ねばならない」は持っていますが、これは「仕事が楽しくて仕方がない」「この仕事で自己実現が図れる」などとの”モチベーション”とは違い、一種に義務感。
誰かに「その義務感を外してもいいよ」と言われると、モチベーションが落ちて怠けている状態となんら変わりはない。
結局サボっているのでは・・・
体力的な限界とサボり
モチベーションに加えて体力的にはどうか?
体はだるいが「身の回りのことができる程度」には動く・・・がんばれは通勤ぐらいはできるでしょう。それでも会社を休むのはサボりです!そう思います。
自分はどうか・・・その日の朝、体が動かない、動かすのがすごく億劫。本当に動けるかどうかは動かしてみないからわからない。と言う状態。でもトイレぐらいは行けるはず。洗濯機を回すとか、多少の食器あらいはやらねば。これぐらい動けるのは「身の回りのことができる程度」の状態ではないか?
自分のがんばれる限界を自分で低く見積もっていないか?
がんばれる限界とは「血を吐くまで」「立ってられないまで」「倒れて起き上がれない」「手足が痺れて物が持てない」ここまでのことではないか?
だったら、その朝の自分はサボっていることになる・・・
結局、障害であることに逃げ込める甘えがあるのではないか
双極性障害であるからうつ期は「仕事はパフォーマンスは10〜20%になります」障害を持っているからしかたありません!
「起き上がれないほど激しくだるく会社に出社できない日があります」障害を持っているから仕方ありません。
「色々アイデアがどんどん出てきます。ですが、中には行き過ぎの提案があるかもしれません。それを取捨選択して話を聞いてください」障害を持っているから仕方ありません。
「会議でやたら発言します。ピント外れの発言もあるかもしれません。驚かないでください」障害を持っているから仕方ありません。
これらって双極性障害と診断されたことで、できないことを正当化していますよね。”甘え”てませんか?
障害とサボり(甘え)の境目は曖昧
障害の症状
うつ病あるいは双極性障害のうつ期には下記の症状がでます。
- 気分が落ち込む
- 何をしても楽しめない
- 悪い方にばかり考えてしまう
- 物事の捉え方が否定的
- 「自分はダメな人間だ」普通なら乗り越えられることも大変な労力が必要になる
- 表情が暗い
- 自分を責めてばかりいる
- 涙もろくなった
- 反応が遅い
- 落ち着かない
- 飲酒量が増える
- 食欲がない
- 性欲がない
- 眠れない、過度に寝てしまう
- 体がだるい、疲れやすい
- 頭痛や肩こり
- 動悸
- 胃の不快感、便秘や下痢
- めまい
- 口が渇く
それの捉え方
実際はこれらは”過度”に起こるので、異常だし本人は辛いのですが、文字面だけ読んでいるといずれも”がんばれば””乗り越えられるような気がします。
人から見たらどうなのでしょうか?本人はそれが限界、もうがんばれないと思っているのですが、人から見たらまだ足りないと見えるのではないでしょうか?
「ここからが障害である」との客観的な線引きは非常に難しいです。
境目は自分で決めるしかない
自分での判断が難しい
上記のように体力的にがんばれる限界が自分でわからないため、どこからがサボり・甘えなのか自己判断が難しいです。
特にうつ期は、悪い方にばかり考えてしまい物事の捉え方が否定的な傾向にあるので更に自分を追い込みがちです。
「落ち込んでる暗いやつ」という一種の”性格”で、障害ではないのではないか?その激しさ・深さが異常と言うけど本人は自覚が少ない。
自分で自分の今の状態を冷静に分析できない。自己判断は非常に難しいです。
医師の判断も偏っっている
専門家に障害だと言われたのだから障害なのかもしれない。
客観的なもの「表情が暗い」「自分を責めてばかりいる」「反応が遅い」「落ち着かない」・・・これも日頃から付き合いの長い主治医がその変化に気づく。
気づく=何かいつもと違う。その差を感じるのも漠然としている。客観的・定量的ではないです。
その人の「常識感」が平均的で医学的か?主治医の常識感がそもそもズレていたら私のことを正しく”異常”と認識してくれるでしょうか?
医療ビジネス的に私を意図的に”患者にしたてて”いるかもしれない。
偏っている可能性もなくはないでしょう。
総合的な判断。甘えでもいいじゃないか。
境目は自分で決めねばならないが決めれない、いろんな意見を聞きながら総合的に判断するしかない。
結局、自分で判断する。そして納得する。で、がんばれきれない限界を自分で決めることになります。
その朝に悩んでいたことへの堂々巡りです。
この病気。悪化したからといって死ぬことはありません。ですが、希死念慮が高まる可能性がある面では危険な面もあります。悪化すると何より周りに迷惑がかかります。
波が大きくなってしまうと安定期・寛解期に至るのがかなり遅れます。
適切な対応が必要です。
甘え・サボりかもしれないと思ったとしても”大事をとって”無理をしないほうがいいです。
甘えだって言われても、サボりと思われてもいいじゃないか!
双極性障害との診断は身を守ってくれています。
コメント