双極性障害 あるある 主治医への説明って難しいですよね

躁うつ的生活

お世話になっている心療内科には、もう10年ほどお世話になっています。

今や、私にとって唯一無二の相談相手になっていただいています。月に一度のペースで診察に伺っています。周知の仲ですので気軽な気持ちで診察を受ければいいところですが、いつもどのような話をしたらいいのか悩んで緊張します。

自分の気分(精神的にも肉体的にも)について言葉にすることが難しいと感じていて、その話内容によって薬の種類や量が決まり、この先1ヶ月の生活が決まると思うと緊張します。

体の状態はなんとか”正しく”説明できる

体調という面では、説明はしやすいです。

「熱があるわけではなく、だるいわけでもない」「夜は睡眠導入剤を飲んでるので眠れてはいる」「朝はスッキリと起きられないが、起き出してしまうと日常の行動をするには支障はない」「便秘気味」「血圧は少し高め」「朝食はしっかり食べれている。昼は抜くことが多いが、体調に影響があるように思えないのでよしとしている」「お酒はやめている」「体重はなぜか少し増えたみたい」「散歩は、週に4日ほどはできているが運動不足かも」・・云々。

肉体的な状態は、ありのままなので、説明は比較的やりやすいです。

ただ、「だるい」というのがうつっぽくだるいのか体力が低下していてだるいのか、ただ億劫なだけなのか、どれぐらいのレベルだるいのか上手く表現できません。

気分の説明の怪しさ〜自分の”気分”はどのレベルにある?

一方で、精神的な部分の説明が難しい。

「少し些細なことにイライラする感じはあるが、声を荒げて文句を言うほどでもなくなっている」「人に迷惑をかけるようなエピソードはこの数週間は起こしていない」「今は失業中なので仕事によるストレスはほとんどない。失業中であることそのものがストレスではある」「悩みがあって色々と追い詰められることはあるがうつうつした感じはそれほど強くない。うつの時の私だったらもっと落ち込んでいたはずだが、今はそれほどでもない」・・・とか、説明しているのですが、これが正しく自分を表現しているのか自信がありません。

そもそも、その時々の自分の気分の状態を意識しながら生活していませんし、ちょっとした些細なエピソードはたった数日前でもその出来事を覚えているかどうか・・・

上がりすぎ、落ちすぎとかではなく、中途半端な感じが説明しづらい。上がっているのか下がっているのか、上がろうとしているのか落ちようとしているのか・・・・

例えば「10段階評価のどこにいるとか表現する」なんてできるといいのですが。

自分の体調を10段階評価してみようとしても真ん中の5がどう言う状態かわかっていないから相対的に表現できないです。

今日はもう起きれない、動けないと言うのは経験したことあるし、最悪の気分の時は10段階の”0”なんだろうなとは思います。

軽躁状態にある時、自覚は薄いです。エネルギッシュに活動している自分は本来の自分だと思ってます。自分の中ではこれが”ふつうの5”。先生から見るとこれが”10″。明らかに乖離しています。

ですが、「清々しい朝だ!お日様も私を暖かく照らしてくれる!今日も1日頑張ろう!」との10段階の”10″の時(きっとこれが10なのだと想像しますが・・)なんて経験したことがありません。存在するような気がしません。

私の場合”0″の反対側にあるのは・・・

「あまり眠れていないが、平気」「朝からあれをしようこれをしようと頭の中をよぎり、どれから手をつければいいのか混乱している」「優先順位をつけようとするが、どれもしなければならない度が高いものばかりで全部が優先順位1位」「ずーっと焦っている。イライラしている」「仕方ない!片っ端からやっつけるぞ!これくらいこなせる能力はある」

・・・のような状態で「さっぱりと気分がいい」という感じではありません。

先生の期待通り(期待していると思い込んでいますが)の回答はできないです。何か別の座標軸の上にいるように思います。

私の説明には裏があるぞ〜思うような診断に誘導している?

どうも私の説明の中には先生が期待しているだろうことに合わせようとしている”欺瞞”が入っているように思います。

私が診察の際に説明している内容って、今の薬が「効いているからほどほどのところで安定してますよ」と先生に思わせて、先生に現状維持の処方を促しているようです。

その日の患者さんの混み具合とか、予約状況とかを見て、「先生は今日は忙しそうだから、私のような寛解に近い状態の患者はお手を煩わせないようにしなければ。それには、わかりやすい症状を演じよう」とか

「前回は、仕事の上での揉め事を自身のストレス源として誇張して話をして、薬を増量してもらったが、今は金欠状態だし、薬代を浮かすために、量を1段階減らしてもらおう。そのためにこれぐらいの気分だと話しておくか・・・」とか

適当に取り繕って喋っているようなところがあります。

これって、”正しい”患者の在り方でしょうか?自分のためになっているのでしょうか?

熱があるとか、お腹が痛いとか、骨折しているとか、関節を腫らしているとか、怪我して血が流れているとか、血圧が高いとか、血液検査のある値が高すぎるとか、そんな誰が見てもわかるような客観的なデータ・症状ではなく、患者の口先三寸でなんとでもなってしまうというのが、心療内科の診察の世界。ありがちな話なのかもしれません。

正しい治療は「患者の誠意」にかかっている!・・と考えると、”正しい”説明ってどうなの?と考えてしまいます。

私がやっていること

◆診察前のメモ

そして、診察の時。診察時間が限られていますので話しておきたいことは抜けなく話しておきたい。この日誌アプリに残したものを眺めて、先生に話しておくことを事前に文章化するようにしています。

Evernoteにメモっているのですが、通院のたびに作っているので、過去の通院でどのような話をしたのか残るし、それも次回の参考になりますし、自分の気分の波と投薬の関係も確認できます。

そして、内容が意図的に振られていないか確認します。できるだけ素直に正しく症状が伝わるような再確認です。

診察の際の立ち位置

そんなことをやっても、結局は、変な思惑はどうしても入ってしまいます。”正しい”患者にはなかなかなれません。結果、正しい治療は受けれていないとの心配は残ります。

心配ではありますが、今は寛解状態が1年ほど続いていますので結果として良いアンバイで薬物治療が進んでいるとも言えます。

主治医とは長い付き合いなので、私の話しぶりや声のトーン、姿勢、顔色などを観察してもらい、変な思惑も含め私の話している内容を吟味してもらい判断してもらったらいい。と考えるようにしたいと思います。

患者が”がんばる”のではなく、専門家に委ねる つもりで。

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