双極性障害 あるある そもそも自覚はあるのか?

躁うつ的生活

双極性障害Ⅱ型と診断されているのですが・・・

双極性障害Ⅱ型と診断されてから7〜8年ほど経ちます。

最初にうつ状態になり休職を余儀なくされたのが11年前。よくなったり悪くなったりを繰り返して寛解に向かい、約2年の休職期間を経て復帰。その後、普通に仕事できたり、仕事にならなかったりを繰り返していました。

主治医は、「双極性障害Ⅱ型」です、とおっしゃっていますが、私は、自覚しているような、いないような。言われて無理やり納得しているようなところがあります。

自分では、躁状態がいわゆる世間で思われているような”躁うつ病”のパターンではないと思っていました。徹夜しなければならない時はやりましたが徹夜が平気なほど気力が充満していたり、自分にはなんでもできると周りを振り回して猛進するとか、大きな買い物やローンを組んだりと散財したり、明らかに周りが引くほどのテンションで行動するとか。そういうことはありません。

うつ期の自覚は明確にあります

うつ期は明らかにわかります。自分の能力の無さ、仕事への適性のなさ、社会に対しても家族に対しても役になっていなさ、自己否定に陥り自分の存在価値のなさに深く落ち込んでいる。いっそのこと消えてしまいたい、死んでしまいたい。その気分の落ち込みに前後して、体の動き、喋り方が、緩慢になり、動きたくなくなり、ついにはガス欠のように動きが止まる。

最初は、仕事や家庭でのストレスが原因と思っていました。うつ病と診断され、休職を経て動ける湯になったのでもうないだろうと思っていたら、大したストレスではないのにまた”落ち”て、乗り越えられない。これは”甘え”だ、根性だせ、死ぬ気で頑張ればできないはずがない。と鼓舞しているつもりですが、モチベーションが上がっっていきません。そして自己嫌悪の重ね書きです。

こう言う状態は、うつ期なんだなと自分ではわかります。

”病気”のせいにしたくなる

そして、繰り返すうつ期が苦しく、一方で自分のどうしようもないだらしなさを「自分ではどうしようもないことなんだ」と正当化したくなり、「自分は病気なんだ」と言うところに逃げ込みたくなる。

この甘えを病気のせいにすると楽だろうなとのずるい気持ちが芽生えています。病名をつけてくれると助かるんだけど、と。これは自分しか知らない卑怯な感情で、そこに逃げようとするとてもずるい人のやることだと感じます。

で、さらに自己嫌悪に陥ります。

そして「双極性障害Ⅱ型」と診断されます。ずるい私が「助かった」と思います。

私にとっての躁状態

あなたは〇〇の症状があるから「双極性障害」ですよと言われたというより、「双極性障害」とレッテルを貼られてから自分の躁エピソードを考えるとの手順となりました。(少なくとも自分はそのような感覚。主治医の先生は当然逆のアプローチですが)

私は、いつも人の輪の中心にいました。宴会などでは盛り上げ役。場が白けてくることが怖く、その場のムードメーカーたろうとしていました。

仕事は、時代の空気を読み新しいものを生み出すクリエイティブな仕事をしていました。調子の良い時はどんどん新しいアイデアが湧いてきます。社内リソースや技術進化など諸々の諸事情で全てがカタチになることはなく頓挫してしまうことは多くありましたが、次のアイデアが湧いてくることは止まることはなかったです。

趣味は多趣味です。あれこれと手を出しますがどれも極めているとは言えません。

読書はよくする方ですが同時に数冊の本を読み進めます。読んでいるうちに別のことが気になってページを離れると次は別の本を読んでることがあります。

それって、”軽躁状態”でしょうか?なのでしょうね。主治医と話していて「そういえば・・・・」と思うことになりました。

自分の気分サイクルを知る

主治医の先生と話していて、双極性障害と診断された決定的なネタは、長い間記録していた毎日の気分グラフです。うつで初めて休職した時からつけ始めたものです。

毎日の体と気分の状態を記載しています。寝ている時間、仕事など外出して行動している時間、スポーツ(散歩程度ですが)した時間を一時間単位で色分けしてます。下には、その日の気分を5段階で、食欲や排便までチェックしてます。

この頃は、なんとか早く仕事に復帰したい。復帰しても100%のパフォーマンスに早く戻りたい。自分は何%のあたりにあるか把握して主治医の先生と共有して、職場と主治医と連携してもらいたい。との思いで記録していましたが、続けているうちに抜けてる日を作るのが嫌で(ここらへんが悪い意味で完璧主義・・)気がついたら5〜6年ほどはつけてましたか。

これを主治医と共有していたのですが、ここに大きな波があることを主治医が見てとって、私の様子をさらに観察して当たりをつけていたようです。

その頃飲み始めた薬(双極性障害の治療に使う気分安定剤でした)の効果と合わせて、双極性障害Ⅱ型となったわけです。

”自覚”と”納得”のギャップに自分を見失う

まあ、納得はしました。晴れて、卑怯にも「病気」に逃げ込むことができました。

それを自覚して、さあこれからどう生きていくかを考えねばなりません。

・現実から逃れた自分にどう落とし前をつける?  

 卑怯なことをしている自覚があります。社会的な本来の役割を担えず、投げ出して、「双極性障害」者だからしょうがないと思ってもらおうとしています。そんな自分が許せません。許せませんが、そのくせ何も努力できていません。どうしようもない人です。

・本来の自分はどこ?

 上にも書きましたが、自分は、明るく人の輪の中心におり、どんどんアイデアを出てきて、仕事に猛進する人であると考えてきました。それは病気の症状だったのですか?だったら本来の自分はどういう人なのでしょうか?

・障害を持った人として生きるか、気分の波のある普通の人として生きるか

本来の自分がわからなくなっった人には「障害」を持っているとして生きる方が少しは楽なはずです。でも薬でうまく気分の波を抑えている寛解状態です。人から「障害」を持っていると思えないはずです。”頑張って””薬に頼って”普通に生きるしかないでしょう。正直辛いです。

こう言うことを考え始めると「双極性障害」であることを否定したくなります。そうすると”納得”はしているつもりだが、”自覚”していないと思いたくなる。

”四十にして惑わず””五十にして天命を知る”そんなことは、全く無縁です。

この歳で、自分を見失いました。アイデンティティが崩壊しました。

自分の存在価値が見当たりません。消えてなくなりたいです。

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