双極性障害 あるある 特に何にもない日曜日って

躁うつ的生活

日曜日なのに何もすることがありません。

考えてみれば日曜日以外もあまり変わりません。仕事についていませんし。

本当はいろいろとルーチン(主に家事)はあるので正しくは「何もすることがない」というわけではないんですが、そのルーチン(やらねばならないこと)が早々に終わってしまうと、かるくボー然とします。

双極性障害です。現在、軽躁〜寛解という状況です。何かそわそわ、イライラしています。

失業中で世の中に役に立っていないことにもモヤモヤしているので、何もすることがない状況に罪悪感を感じています。それで何かしなければとそわそわ、イライラしているわけだと思います。

「そをそわ」「イライラ」は障害のせいではなく、このように何かしら理由があると考えています。つまり自分では障害のせいではないと思っているということです。

せっかく時間ができたのだから、電気屋に行って「パソコン周りの便利グッズでも探そうか」とか、ホームセンターに行って「このまえ壊れた籐のバスケットの取っ手を直す道具を買おうか」とか、楽器屋に行って「バンジョーのペグ売ってないか見てこようか」とか、暑いんで「山上の方に行って涼んでこようか」とか、うなぎを食べたいから「スーパーで売っている鰻が安くなっていないかどうか見てこようか」とか、ペットショップに行って「子猫を見て癒されてこようか」とか、スポーツショップに行って「テニスガットの張り替えの段取りでもしてこようか」とか、もういろんなことを一斉にごちゃごちゃと考えて、電気屋に向かっていたら途中でやる気をなくして、じゃあ楽器屋に足を向けようとすると「バンジョーのペグなんて田舎のそこらの楽器屋に置いてあるはずないな」と思い直し行くのをやめて、スーパーに向かうと鰻より肉が食べたくなってしまうとか、支離滅裂に動いて、どれも実現せず、結局疲れて「何もすることがない」はずの日曜日を台無しにしてしまいます。

で、このままだと、「何をやってるんだ!」と自分を責めて、「このような時こそ自己研鑽するとか生産的なことをしろよ!どうしようもないヤツだな!」「何も役に立っていない!いても仕方ないな!」と考えてしまいます。

失業中でお金がないんだから、何かしら生産的なことをするべきなのに、妙に楽観的なところがあるのが”軽躁状態”であるからなのでしょうか?・・・

楽観的なのであまりマイナスのことが頭を絞める時間は少なく、「そういえば今日はYOGAマットを広げて、いくつかアーサナをかましたな」とか「間食しなかったな」とか、ちょっとしたことを思い出して、少しは自分を褒めるネタを捻り出して、心を少し持ち上げておくようにします。

ですが、寛解時期に入ってくるとマイナスなことをウジウジ考えるようになってきて、それこそうつ期に落ちるとこれらが”まとめて””数倍になって”落ちてきて心が歪み深く埋まるのでしょうね。今は、そんなことを考えないようにします。

お金をぼろぼろ使って散財しないだけ良かったと思う。何もすることのない日曜日が終わろうとしている。

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