くだらないことが気になり気が散ってしまう。そしてその気になることが解決する前に別の気になることが頭に浮かび今度はそちらに注力していまう。色々とアイデアが湧いてくるのだが、その中には本当に建設的ないいアイデアもあるのだが、それが、提案書のようなカタチになる前にどこかに行ってしまう。たくさんのjust ideaとたくさんの残骸で、結局は何も残らない。
今回は、12という数字が生活の中のいろいろなところで出てくることが気になっているという話です。
12に関する諸々
一年は12ヶ月
月が朔から望を経て次の朔までが、29.530589日の約30日。それが12回で同じ季節が巡ってくるということで、一年を12の月で割った。
というのはわかりますが、同じ季節が巡ってくると何を基準として判断したのか。太陽の動きとなるでしょうが、それですと月の12回分とずれます。
川が氾濫するとか、ある花が咲くとか、鳥が渡ってくるとか、魚が遡上してくるとか、毎年、正確に同じ時期のあるものでしょうか?色々な季節の変化を複合して観察するにしても、どれかが遅れるとか早まるとかなかったとかもあったでしょうし。
季節の流れから12分割が出ていたのではなく。先に12という数字に重きを置く理由があったのではないか。
そもそも暦が必要だと思った理由はなんだったのでしょうか?暦を司ることは予測・予言を行うということで、それが権力者の証だったのでしょうか。
となると、権力者の指示で暦を作った人たちは命懸けでしょう。命懸けの高いモチベーション(?)膨大な期間にわたって細かな観察をし続けた!その方々のおかげです。
星座占いの12星座 黄道12宮
黄道上にならぶ12の星座を「黄道12宮」と当てはめ、誕生日に太陽が黄道12宮のどの宮にあったかで誕生星座を決めています。
ですが、星座の範囲もまちまちで必ずしも12の星座の位置からとはならず、黄道12宮と黄道12星座は位置が一致していません。へびつかい座というのも言われていますしね。
黄道12宮は黄道上の範囲を意図的に12に分けたと思われます。ではその12等分した理由は何なのか?
時計の文字盤 午前・午後が12時間であること
時間をある一定の期間の繰り返しと考えるなら、”円”というカタチからイメージすると自然です。日の出から日の入りまでの時間を”円”をイメージしてそれを分割していく。2分割で180°づつ。3分割で120°づつ。4等分で90°づつ。分割していくと、12等分というのがバランスがいいのがわかります。十進法で考えると5等分とか”円”をベースに考えると収まりが悪いです。
こういうところから、12等分で考えたのではないでしょうか?春分と秋分の時の昼と夜の長さが同じ日(秋分、春分)を基準に12等分した時間から1日を24時間とした。という流れかと。
ギリシャ神話のオリンポス12神
ここにも12が出てきました。ゼウス、ポセイドン、ヘラ、アテナ、アポロン、ヘルメス、アフロディテなどギリシャ神話の主要な登場神が12神ということですが、ギリシャ神話も色々な伝承があって、12神のメンバーも多少違ったり、12でなく13だったりするようです。ですが、ここでも収まりのいい数字12を使ってまとめています。
薬師如来の十二神将
今度は仏教ですが、薬師如来の眷属には12の神将がいます。いずれも古いインドも神々が仏教の中に組み込まれたようなカタチです。
薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされています。”12だらけ”ですが、どこから12が出てきたのでしょうね?時間や方角を分割していくときの収まりの良い数字として採用されてきた可能性が高いです。
干支 十二支 方角
日本人としては、年齢をイメージするときに誰もが感覚的に常識的に十二支を元にイメージします。当たり前にある概念なので、なぜ12なのかなど考えたこともありません。
十二支は方角にも使われます。方角を表すのなら、”円”をベースにした12分割は理にかなっています。では方角を表すのが初めだったらわかるのですが、どうもそうでもないらしい。
なぜ12なのでしょうか?どこからきた数字なのでしょうか?
音階
C→C♯→D→D♯→E→F→F♯→G→G♯→A→A♯→B→(C)。平均律12等分で1オクターブ。大もとはあのピタゴラスさんらしいですが、音階を数学的な美しさで等分したようです。
ただ若干の”余り”の部分もあり、純正律のように綺麗な和音とはならないようです。それでもこのピタゴラスの音階が現在も基本になっています。
ダース
飲み物のビンのひとケースの12本=1ダースも十進法の感覚の我々にとっては不思議です。昔の十二進法のなごりとのことです。英国での1フィートが12インチ、1シリングが12ペンスだったりしますね。
十進法より十二進法の方が一般的だったのでしょうか?やはり十進法は人の指の数からすると直感的に数えやすいので当たり前に使われていたと思われます。
十二進法は、それが便利な分野があったのかと。1、2、3、4、6と約数が多いので分割したりするのに都合のいい数字なのかもしれません。
冠位十二階
推古天皇の時代603年に制定された聖徳太子が定めたらしいとのものです。643年には、七色十三階冠という制度に変わったとのことなので、”数字”は余り定めがなさそうです。当時、大陸の隋の官位に習ったようです。
有能な人材を採用するためとか外交上国が整ったことをアピールする目的もあったようです。その後近代まで続く律令制の基礎になったもの。
大陸の影響で、”十二階”ということなので、なぜ12なのかは古代中国の文化に遡らねばならないかもしれません。
キリスト教 12使徒
これも12人です。これは新約聖書のことのイスラエルの12の部族からきているようですが、たまたま12だったのか、意図的に12なのか?
十二因縁
仏教の教えの中に出てくる”十二因縁”または”十二縁起”。苦しみや悩みの大元となる12の原因。全ての苦しみ悩みはそれぞれ関係した12個の原因がある・・・と集約されています。これを見つけたことでブッダは悟りを開いたとか。
とすると、全ての根源は12個・・12という数字の神秘性・絶対性は「ここからきているのか!」だから「洋の東西を問わずあちこちで12が出てくるのか!」などと思ってしまいます。
二十四節気 七十二候
月の動きを暦のベースにした太陰暦だと長く使っていくとどうしても実際の季節とずれてくる。これを太陽の動きから昼と夜が同じ長さになる春分・秋分から数えて24で分割したのが二十四節気。四季を持つ日本で農耕してきた日本人の見事な知恵です。
七十二候はそれをさらに3つに細分化し季節の変化を細かく示したもの。実際に肌で感じる季節感と一致しています。これも見事です。西洋式のカレンダーがいかに味気ないものか分かります。
二十四節気は、一年を12で分割したことから繋がる数字であると連想するのは自然でしょう。
十二単
平安時代からある女性の装束”十二単”。実は重ねているのは8枚らしいです。言葉の由来は「十二分に」、要は、「たくさん重ねている」ということ。
十分・充分では足らずに十二分にと言いますけど、なぜ、12なんでしょう?
12は神秘的で予言的
色々なところに出てくる12という数字。
月(天体)の動きからきているのが根源かもしれません。地球は月の影響を大きく受けています。潮の満ち引き、あらゆる生物のバイオリズム、もちろん人間も。
その影響の強い月の動きからくる12という数字が、偶然にも「収まりの良い」「均衡をもたらす」数字であることがそもそも神秘的です。
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