双極性障害あるある 「ふつうじゃない」の”ふつう”がわからなくなる

躁うつ的生活

自分は「頭の回転が速くアクティブなできるやつだ!」と思っています。双極性Ⅱ型障害と診断され「本来の自分はできるやつ!」は実は”躁の異常な状態”と知ります。

本来の自分は「できるやつ」じゃなかったんだ・・・

自分のアイデンティティーを失います。

自分の症状は”自覚”ではなくいつも人から指摘される

うつ病や双極性障害、もしかしたら総合失調症やパニック障害、あるいはASDなどもそうだと思うのですが、自分の症状・状態・性格について、他人から”ふつうじゃなさ”を指摘されるとのケースが多いのではないでしょうか?

当事者は生きにくさを感じているものの病気であるとの自覚は薄い。なんでうまく行かないのか、思うようにならないのか、なんでこんなに周りとズレていくのかなどと感じる。(ズレそのものを感じない人もいますが)

気づいてくれる人がいることで結果として救われるのですが、言われた時には気持ちの上で激しく抵抗しています。

重大な事実を思い知るには”時間”と”重いあきらめ”が必要です。

違和感のない”ふつう”って?

人は我々のことを”異常”とまでは言わなくても、なんとなく「ふつうと違う」「いつもの〇〇さんと違う」と漠然とした違和感を感じているようです。

ですが、その”違和感のない”「ふつう」ってなんでしょうか?

世間の常識なんて、年齢、性別、体質、体格で微妙に違いますし、人種、気候、時代、文化など生活環境によって大きく変わってきますよね。”ふつう”も振り幅が大きいとと思います。

大飢饉に見舞われてこの冬もどうやって越すのか途方に暮れている子供を4人抱えた父親、何百万人もの民を配下にもつ帝国を父親から譲られた若者、革命を目指して地下に潜伏していた恋人を政府の秘密警察に殺された女性、戦争に勝った高揚感で国民全員が浮かれたっている中の飲み屋の主人・・・こんな人たちが感じている”ふつう”は、今の私の思っている”ふつう”と同じであるはずがありません。

そもそも時代の寵児とか天才とか言う人たちは世間の常識を逸脱したところから始まっているのではないですか?”ふつう”と違うからこその天才。その規格外の考え方と異常(ふつうじゃない)な考え方との違いってなんですか?

それでも人は私たちのことを”異常”と言い、私たちはその”異常”を受け入れざるを得ないほど生きづらい思いをしている。

軽躁状態の自覚〜”寛解”と”軽躁”の境い目

”ふつう”と”ふつうじゃない”ところの境界線のことを色々と考えてしまうのは、自覚の少ない(と言われる)軽躁状態にいる双極性障害の人だからでしょうか?あるいは寛解していて冷静だからでしょうか?

ここ1年ほどはなんとなく落ち着いています。主治医が言うには「寛解の状態と言っていいと思う」とのこと。薬を服用していますが、程よい効き加減でうつにも落ちない状態を維持しています。

この”寛解”というのが曲者です。寛解とは”ふつう”の状態のことです。主治医から「寛解状態」と言われているから”寛解”なのであって、自分ではよくわかりません。軽躁状態と寛解状態との違いもよくわかりません。”ふつう”と”ふつうじゃない”上がりすぎた状態の区別がわかっていません。

軽躁状態と言われていた時は、少し喋りすぎているかなとか訳もなくイライラしているなとか言われますが、寛解状態の今でもおしゃべりであることはあまり変わりませんし、生活していればイライラすることも起こりますよ。確かに「やっちまったな」ということは少ないかもしれませんが・・・

というか、うつ期でない時期はあまり長くないのですがずっと”ふつう”です。うつ期でない時は”ふつう”と”ふつうじゃない”の差、境目が不明瞭(あるいはない)・・・との自覚です。

双極性障害というより「再発性うつ病」

そのような状態・感覚なので、人から”違和感””ふつうと違う”との指摘を受けると、ちょっとイラッとします。人間関係がこじれるのは大概このパターンです。

寛解という言葉は「完治」とは違います。「症状が落ち着いている」状態と理解すると、逆に「落ち着いていない」状態も必ずやってくると受け取れます。この言葉を聞いても安心できるはずないじゃないですか。ビビっています。

この境目をこんなに気にするのは、また、どちらかに転ぶことが怖いからです。うつに堕ちるときのシグナルは何か、躁転するときにシグナルは何か知っておくことが大切と思っていますが、そのためには今のこの状態が”ふつう”であるとの基準が必要です。その基準(ふつうさ加減)が分からないので不安と思っている・・・

私の”いつも””普通”はどれ?見失う怖さ

私の場合は、主観的に判断できないので、長い付き合いの主治医とのやり取りで、寛解状態からのズレを指摘してもらうようにしています。

ここ数週間の状態をできるだけ装飾を交えずフラットに話すことで、その内容を自分で振り返り、主治医の反応を見ることで、ふつうからのズレを感じます。これしかいい方法が見つかりません。

自分では分からない”ふつう”からのズレはこのように把握しますが、自分の「ふつうがわからない」問題は「自己喪失」につながるのが厄介です。

自分がよくわからなくなります。本来の自分はどれなのか?自分の長所と思っていたことが自分の”異常”の状態だなんて、自分のアイデンティティはこれだと思っていたが違ったのか?だったら今自分にできることはあるのか?人のために何ができるのか?自分のために何ができるのか?

こんな生産性の無い哲学チックなことに時間を使わないで、もっと足元を見ろ!と言われそうですが、今は、この”人から見ればくだらない自己喪失問題”は最重要問題となってしまっています。

就職活動にも影響が出てきてある意味死活問題です。

今までやってきた成果も軽躁状態の異常な状態に時に成し遂げたもので、本当の自分の成果ではない。今の自分にもう一度このような成果を上げる能力はない。だって異常な状態の”ふつうじゃない”自分がやったことでしょ。

じゃあ今の”ふつう”の自分にできることはあるの?全然ないじゃないか。使えないヤツに成り下がった・・・

こんなことを考える。悪循環に入るとうつに落ちるぞ。気をつけろ・・・・

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