心療内科での診断は患者へのインタビューが全て
双極性障害です。ほぼ毎月1回のペースで心療内科に通っています。
うつ病や双極性障害などの気分障害は、熱が出ているとか咳き込んでいるとか血液検査のある値が異常だとかそのような確かな検査結果がるわけではなく、患者のしゃべっていることやその態度や様子など”あいまいなもの”で診断されます。
医師からすると、患者の頭の中を直接覗くわけにもいかず、患者の口から出てきた内容で窺い知るしかありません。
普通の人が会話している時、「こいつなんだかおかしいな?」と思うことがあります。何かよくわからないうまく言葉で言い表せない”違和感”を感じています。
医師はこの違和感を”医師の主観”で感じ取り医学的な事例・事象・見地からこの違和感を把握・分析します。
心療内科という医学は他の”〇〇科学”とは少し趣が違うのかも知れません。
”ありがまま”ができない、わからなくて緊張する
うつ期の底の方にいる時や躁の時期のてっぺんにいる時は外から見ただけでわかると思います。患者からすると通院するだけで診断してもらえる状態です。(ところがこの時期は通院するのが難しくなる時期でもあります)
私の場合、うつの回復期や軽躁状態など中途半端なところにいるときは「その状態を正しく伝えなければ」ということが気になって、まるで就職面接の時のような緊張感を持ってしまいます。
長年この病気の患者をやっていると、双極性障害の症状・心理状態・気分の状態・考え方・行動などの典型的な事例は情報入手して把握しています。また、薬についての知識もあります。
今の状態を医師に「どう見られているか」「どう見てもらいたいか」「どのような薬を処方してもらうか」「次の通院時期をどれぐらい先にしてもらうか」など診断結果を想定してどのように話をするのか調整してしまっているような節があります。
なまじこの障害ついての知識を持ってしまっているおかげで思ったような”診断に導く”テクニックを持ってしまったような。
それでそういうことを考えてしまっている自分を発見すると、そのフィルターを外した「ありのままの自分」はどんな状態なんだろうか?と思い始めます。
こんなことでいいのだろうか?と思って緊張してしまうわけです。
そもそも、自分の状態がよくわかっていません。自分自身を正確に表現できません。
あるがままを喋ればでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、その”あるがまま”をどう表現するのか、そもそも自分のあるがままがわかりません。
「躁状態にいる双極性障害の人は異常だと自覚できていない人が多い」などの話をよく聞きます。自分は寛解状態にあるのか、自覚できていない軽躁状態にいるのか、よくわからないというのが実態でしょう。
時間が短くて伝えきれなくて緊張する
もう一つ診察時間が短いということがあります。
このように患者のあいまいな”証言”によって診断するのに診察時間は短すぎると思います。よく話を聞いてくるれ先生がある心療内科でも長くて7〜8分、短いときは1〜2分というところではないでしょうか。
患者側ももう少し話をさせてもらったら今の状態を理解していただけるのではと思うのですが、いつも不十分な感じが残ります。
今の医療の仕組みからすると難しい事情があるのでしょうが、心療内科に限っては何か工夫があってもいいような気がします。
気分障害などはカウンセリングを通して患者の内面を観察してもらい、それらを通して客観的に症状を分析して診断を行うという方法が患者も安心するのですが・・・
ですが現状、医療行為とカウンセリングは分かれています。医療行為を行う人と認知行動療法などカウンセリングを行う人の「資格」が違いますし、医療費の扱い・保険の適用も違いますので、一緒の人(医師)が一緒の時間に医療行為とカウンセリングができないようです。
この短い精神科医師による診察時間に「今の状態を説明しきれなければならない」という緊張感も強いです。
受診するときの”準備”〜気分・思考・行動をメモしておく
そこで、毎月受診する前には話ことをメモにして準備するようにしています。おまけに実際に声を出してシュミレーションまでしています。
ここまで頑張る必要があるのでしょうか?そのこと自体が”ありのまま”ではなくなるでしょうね。
ですが、自分の今の状態を文字に起こすことで自分を客観的に観察できるといういい点もあります。
メモは「気分」「思考」「行動」の3つの方向で整理するようにしています。
”気分”とは、「どんな気分」か「朝の寝覚めはどうか」「誰かと会話した時の気分の変化があったか」など。
”思考”は、「諸々の考えが溢れてきて仕方がない」とか「何も考えが湧いてこないでどうしよもなくなっている」「死にたいとかばかり考えている」など。
”行動”は最近の行動量と疲労感について。
気分、思考、行動のどれかだけが上がったり下がったりはしません。どれも同じように躁とうつを行き来しますが、どれかだけ先に動き始めるということはあります。
それぞれのどれかが上がってくるとうつを脱し始めたかなとか、どれかが上がりすぎていると躁転しそうだとか変化の指標になると思っています。
「気分」が激しく落ち込んでいるのに「行動」は活発などということはほとんどありません。(←これ非常に危険な状態のようです。自死に至る危険な「混合状態」・・)
このメモ、残しているので読み返すことで自分の変化・波を確認できます。そういうメリットもあるのでおすすめです。
受診が終わった時の反省と落ち込むことへの不安
もともと私は周りの視線を気にしすぎています。相手がどのように思っているのか「悪く思っていないだろうか」とか「相手が喜んでもらうには自分がこうすべきだ」とか考えるタチです。
常に相手の思いを先読みしてその相手の”よき人”になろうとします。人の目を通して自分を決める、要は自分の人生・生き方を他人に委ねているというような感じ。
本当に自分でも”真面目な”人(他人から見て)だと思います。医師にとってもいい患者だと思います。いい患者になろうとしています。医師の顔色を伺ってしまっています。
医師の顔色を伺い、その中で自分の意図した診断結果を貰おうとしている・・・
そして、診察がおわったあと、薬の処方が決まり、次の通院日が決まって待合室に出ると「あれでよかったんだろうか・・・」と反省(後悔?)の気持ちが出てきます。
これでよかったんだろうか思いながら3〜4週間過ごすのか・・・ただ時間ダラダラと過ぎていくのか・・・
それが不安にさせます。
通院のたびに落ち込みます・・・・
コメント