仏像フィギュアとの出会い
私の仏像ファンとしての”見仏”の仕方
そもそもは仏像ファンです。仏像フェチというのかも。奈良や京都の仏像を中心に仏閣を回るのが趣味です。
国宝級の仏像というのは、概ね奈良・飛鳥時代、平安〜鎌倉時代に製作されたものが中心。いずれの当時は彩色塗装されていたのでしょうが、年月と共に枯れて渋く荘厳な趣を持つようになっています。
そこにそうやって居続け年月を積み重ねた良さがあります。その静かな様を楽しむわけです。
ところが仏像を楽しむ当たり前と思ったいた方法を根っこから覆したものがありました・・・
仏像のフィギュアって?
チョコエッグというものがありました。
薄い卵型のチョコの中に主にアニメなどのキャラクターを3D化した小さなフィギュアが入っているのですが、それが妙にリアルでよくできています。
いくつかのシリーズを集めていたのですが、それを製作いているのが”海洋堂”であることを知りました。
何気なく海洋堂のwebサイトを見ていると驚くべきものを発見。仏像のフィギュアです!
オモチャ(のカテゴリーと思っていました)のフィギュアで仏像?それもプラスティック(だと思う)製!
しかも驚くべきことに”動く”!冗談レベルの画期的な発想・・・
ありえん・・・
仏像が動く!
仏像とは、そこにある”常識”
仏像とはそもそもお参りする対象物です。熱い信仰心からお願いしたりすがったりするための有難い存在です。ですからそれが安置されている場所に詣でることが重要で、それでこそありがたくお参りできるというものです。
そのお寺に『ある』ということが、いつまでも同じ姿で『ある』ことがありがたいものなのでしょう。、
でそれが常識ですし、私もそのつもりで仏像ファンであるわけです。
過去にたくさん仏師ははいたでしょうが、仏像のお姿のルールに基づいて製作され、長くお参りしてもらうように木造など長年保てる素材・加工で製作したはずです。
万が一にも関節を動かそうなどとの発想はなかったに違いありません。
”常識”が壊れた瞬間と「そうくるか!」との一種の感動
海洋堂の仏像フィギュアはその常識を覆します。
祈りの対象としてここは守らねばならないなどのルールはあるはずですが、でも動いてはいけないというルールはありません。(ないはずです)
仏像はそこに静止して”あり”ますが、祈っている人の想像の中では動いているはずです。手を差し伸べていただいたり、手招きをしていただいたり。怒って戒めてくれたり、力で守ってくれたり。
実際、仏像の「印」など手のポーズは色々あるし、手に持つ仏具も色々あります。天部のポーズは激しい動き、躍動感を表現しています。
動いてもなんらおかしいことはありません。
塗装もそう。どこのお寺の仏像も製作時にはは鮮やかな色彩が施されていたり金箔で飾られていたりしたはずです。
極彩色の仏像があってもなんらおかしいことはありません。
仏像フィギュアを見た時「そうくるか」と思い、大きな納得感を感じました。
で、どう楽しんでいるか
四天王の持国天を手に入れました。
当然動かして楽しみます。職場の机の上に置いているのですが、毎日ポーズを変えています。
仏像を動かして遊んでいいのか不信心ではないのかとは一切感じません。かっこよさで楽しんでいます。
そもそも私の仏像フェチも「美術工芸品」あるいは「かっこよさ」から来ています。嗜好にあっています。
いろんなポーズを写真にとって眺めてみるとまたこれもいいです。インスタにアップしたりします。
海洋堂に期待すること
海洋堂の仏像のフィギュアシリーズも種類が減ってきて縮小している傾向にあるようですが、もっとやんちゃに頑張ってもらいたい。
数多な仏像に挑戦してもらいたいです。わしゃわしゃと動く千手観音とか歩く阿弥陀如来とか顔の変えれられる不動明王とか。
また、ある程度大きなものを作って、本当にどこかのお寺のご本尊に置かれるようにできないですかね。パンクな住職さんならやってくれるかもしれません。「毎月15日にはポーズ替えをします」とか「年に一度の特別ポーズをご開帳します」とかいいと思うんですが。
あるいは、「自動で動く」っていうのはどうでしょう。かっこいいと思います。
声が出るっていうのはどうですか、大切な方の生前の声とか、有名俳優・声優の声とか。お経を唱えてくれるとか、マントラを唸ってくれるとか。あったらぶっ飛びます。
冗談をわかってくれる海洋堂さんならやってくれるかもしれないとの期待を込めて・・・
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